九州鉄道記念館戸畑分館
九州鉄道記念館戸畑分館(110)

「若松工機部」銘板 国鉄時代、若松区には国鉄若松工場がありました。おもに筑豊の石炭車の修繕を行っていたとでも有名です。若松工場は第2次世界大戦末期から昭和25年まで「若松工機部」と名乗っていました。これは、鉄道車両の修繕 […]

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九州鉄道記念館戸畑分館
九州鉄道記念館戸畑分館(109)

昭和36年の国鉄鹿児島工場の更新修繕銘板 昭和36年~38年の3年間、鹿児島工場には鋳物職場があったと言われています。この銘板はその頃作られた銘板です。鉄道銘板研究の大家、周田先生にこの銘板を鑑定して頂いたところ、鋳造は […]

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九州鉄道記念館戸畑分館
九州鉄道記念館戸畑分館(108)

名古屋市電の車庫銘板 本院の院長は父親の転勤で小学校時代を名古屋市で過ごしました。ちょうどこのころに名古屋市電は廃止されています。昭和49年、最後まで残っていた19.8kmが全廃されました。この銘板は当時、名古屋市電につ […]

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九州鉄道記念館戸畑分館
九州鉄道記念館戸畑分館(107)

宮之城線の行先札 宮之城線は鹿児島県の川内から薩摩大口までの66.1kmをかつて結んでいましたが、昭和62年1月10日に廃止されました。このサボはその宮之城線のものです。薩摩○○行という琺瑯サボは大変数が少なく、現在確認 […]

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九州鉄道記念館戸畑分館
九州鉄道記念館戸畑分館(106)

西鹿児島工機部の車内銘板 車内の銘板といえば、一般的にはプラスチック製が多いのですが、戦後間もない西鹿児島工機部(のちの鹿児島工場)ではこのような立派な砲金性の銘板が存在しました。鹿児島は東京の国鉄本社から遠いこともあり […]

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